私はヒートショックを許さない2


ヒートショックは一瞬の出来事だった。

そろそろお風呂(浴槽)から上がって頭でも洗おうかとして立ち上がったのだが、体が私の意識を聞いてくれない。頭の血がグルグル回って少し意識が飛んでいく。

そして、体がフラフラとし、とっさの思いで、お風呂内の手すりに捕まった

娘の久美子を呼ぼうと思い。くちを開けようとしたが、開かない

次第に体全体の力が抜けていき、そのまま前かがみになってお風呂の床にうつ伏せになった。

 

 

これまで58年生きてきてこれほどまでに寒気がしたのはいつ以来だろう?私はこの先あの子の晴れ姿も見れずに逝くのだろうか?あの娘、久美子が生まれる前、当時、まだ生きていた旦那に「一生かけてお前を守る」と言われたことをなぜだか思い出していた。

当時、久美子が生まれる前に久雄さんは鉄工所で働いていた。久雄さんはいつも怒りもせず、かといってニコニコしているわけでもない、つかみどころの無いタイプの当時としては珍しい人だった

久雄さんは毎日仕事に行くときに必ず梅干を一つ食べてから行く。そして「なら、6時には帰るから」と言い出ていく。もちろんその時間に帰ってきたことは一度もないでも、その時間の1時間後には必ず帰ってきてくれた。私はそれだけで十分だった。なのでその間に何をしているかを聞いたことは1度もないし、聞こうとも思わなかった。

そんな生活が1年ほどたったころに私たちの間に子ができた。

その子が久美子ではなかった、男の子だった。当時にしては体が大きく生まれた時で2700gと小柄な私達からほんとにこんな大きな子が生まれたのか?と周りが思うほどだった。名前は久雄さんから1字とって久志と名付けた。

久志が4歳になった頃、久雄さんは悩んでいた。私には何も言わなかったが、少しの動作で久雄さんが何かに頭を悩ませていることが私にははっきりと分かった。

食事中の何気ない会話に階段を上る音、お風呂に入るタイミングと全てにおいて普段と違っていた。

でも、私は何も聞かなかった。いや、聞けなかった。たぶん家族のために頭を悩ませているからだ。だからそんな時にいちいち横からチャチを入れられては余計に腹が立つと思ったからだ。

私の町は特段娯楽も何もない、あるものと言えば鉄工所の横に飲み屋さんが点々としているだけ。別にさほどうまくもないのに毎晩満席になっている。私はその光景を見るとなんだか胸が熱くなってくる。私の小さい頃はこんなことは全く思わなかった、むしろ早くこんな娯楽の無い街を出たくて仕様がなかったのだが、だんだんとこの光景がこの街の絵と思って来るようになった。ただ、その何軒かの飲み屋さんの中に久雄さんが入ったことはおそらく一度もないと思う。

その年の夏に私達家族は海に行くことにした。久雄さんが「遊ぶ」と言う行為をすることが新鮮でならなかったのを私は鮮明に覚えている。

久雄さんは海につくなりいつも着ている薄汚れた最初は真っ白であったろう上着を脱ぎ捨てて海に走っていった。こんな表情でこんなに早い久雄さんを初めて見た。

久志は、行きの電車で疲れたらしく海につくなり眠ってしまっていた。久雄さんはお昼ごろまでずっと海で泳いでいた。私は久雄さんと出会って以来スポーツなどとは無縁の方だと思っていたので新たな1面を見てうれしい反面、少し怖くなったのを覚えている。そしてお昼ご飯を食べて、そこからは家族3人でウトウトと眠ってしまった

風が冷たくなって目を開けると久雄さんは起きていたようで。珍しく私に向かって「ありがとう、これからも頼むよ」と言った。その一言だけで私はうれしさよりも、今までの久雄さんへの疑念を抱いていたことが恥ずかしくなった。そして、この人は私のことを全て分かってくれていると直感的に悟った。

 

そして、久雄さんと久志はその1週間後姿を消した。

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